作成日:2018/05/24 最終更新日:2018/10/27 かいたひと:松崎有理
#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。
エンタメ作品のばあい、カバーに付された情報をどう扱うかはいつも悩ましい。まったく情報がなければ本を選びようがないし、かといって情報が多すぎては読書の楽しみをそこねてしまう。
袖の登場人物一覧は(すくなくとも初読のさいは)ネタバレだからみないという自分ルールをもうけているひとはけっこういるのではないか(*1)。本書もやはりネタバレになるのでみないほうがいいだろう。みなかったおかげで松崎は、三部構成である本書の第一部ラストでじつに新鮮な、そして震えあがるような驚きを味わうことができた。だからせめて第一部を読み終えるまでは袖に目をやらないことをおすすめするしだいである。
*1 せっかく登場人物一覧をつくってくれている出版社の名誉のために補足すると、やっぱりあるとべんりです。人数がおおすぎてとちゅうで混乱してきたときはとくに。
なお裏表紙のアオリ「一気読み必至、究極のサスペンス!」は事実である。松崎も一気読みした。読み終えたら午前四時で外ではすずめが鳴いていた。週末でよかった、と思った。そして本書はミステリではない。物語の冒頭で犯人はすでにつかまり、監禁されていた被害者たちは助け出されているからだ。この被害者女性のひとりが供述のかたちで事件を語るのが本編となる。
本書の最大の魅力は主人公であるこの女性の語りにある。捜査官たちの質問をはぐらかし、時系列をいったりきたりして読者を翻弄する語りの魔力は巻末の訳者あとがきや各氏による書評(本記事末尾に紹介)がぞんぶんに説明してくださっているのでここでは繰り返すまい。
だから本稿では、松崎が(たぶん)独自に見いだした本書の読みどころポイントをご紹介したい。
注意:以下はネタバレを含みます。
ポイントその1 極限状況でどう生きるかを問う
本書を読みながら松崎は、ヴィクトール・E・フランクルによる名著『夜と霧』を思い出していた。ある日とつぜん拉致され、名前を剥奪され、監禁中はつねに暴力にさらされ、遠からず強制的な死が待ちかまえているという構造がそっくりである。『夜と霧』と同様に本書は、極限状況でひとはどのように生きるかを問うた作品であると思う。
人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい……。
(『夜と霧 新版』p27より引用)
ひとは本書で描かれるとおり極限状況に適応していくのである。たとえば主人公は監禁者に強姦されるとき、ポーの詩をひたすら唱えるなど解離(*2)による逃避を実行している。
*2 解離 心理学用語。肉体的精神的にすごくつらい体験をしているとき、自己を崩壊から守るため自分で自分を催眠状態にすること、くらいに松崎は理解しているが正確にはちがうかもしれないのでご注意。トラウマ的体験から逃れるための解離については小児精神科医レノア・テアによる『記憶を消す子供たち』がくわしい。
強制収容所の職員たちと本書の監禁者「庭師」の決定的なちがいは、前者は自分たちの行為が純然たる暴力であり、被収容者たちを苦しめるためにやっているという自覚があるのにたいし、後者はその自覚がないどころか自分はいいことをしているとさえ思っている点だろう。このあたりのかんちがい精神構造はセクハラ加害者(*3)と共通である。
*3 セクハラ加害者の精神構造については『壊れる男たち』金子雅臣、および『部長、その恋愛はセクハラです!』牟田和恵の二冊が白眉。これらに登場する事例を読んでいると加害者があまりに愚かで自分勝手で一方的で創造力が欠如していて、そして被害者があまりに弱くあわれでいらいらする。いらいらさせられるくらい深く描写された良書ってことです。
ポイントその2 悪いやつウォッチ
かように犯人「庭師」は悪人である。じつは本書に登場する悪人は彼だけではない。おそろしいことに。
「庭師」は自分のなかにゆるぎないルールを持つ、かなりわかりやすいタイプの悪人だ。彼のマイルールとは、「美しいものは短命だから美しいうちに保存せねばならない」(大意)。その対象が人間だというのだからもうりっぱな大犯罪者である。彼の長男はさらにわかりやすく、内なる破壊衝動にしたがってただひたすら被害者をさいなんでゆく。殺人にさえまったくタブー感を抱かない、真性のサディストである。じつはもうひとり悪人がいて、上述のふたりに比べ複雑なぶんだけ悪人度はより深いと松崎は思っている。この三悪人による三者三様の悪さ展覧会を味わうのも本書の読みどころといえよう。とくにこの三番目の悪人の悪さと弱さをみせつけられ、人間とはこういうものかと考えさせられる点で、本書はサスペンスというだけではなくホラーであるともいえるだろう。
【ほかのかたによる書評】
杉江松恋さん
佐竹裕さん
酒井貞道さん
【おすすめ関連書籍】
『どくとるマンボウ昆虫記』北杜夫
このまま終わっては蝶収集家がすっかり悪者にされてしまいそうなので。
このエッセイ集で虫を愛でる者へのやさしいまなざし、とまではいかなくとも、ふふっと笑うくらいの感覚を抱いていただければありがたいです。
【フォロワー感謝企画、ほかの書評記事】
- 『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】
- 『嘘の木』(フランシス・ハーディング著/児玉敦子訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第二回】
- 『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ編/中原尚哉ほか訳、早川書房)(これが第三回に相当。翻訳ミステリー大賞シンジケートさまのサイトへとびます)
- 『隣接界』(クリストファー・プリースト著/古沢嘉通と幹遙子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第四回】
- 『誰がスティーヴィー・クライを造ったのか?』(マイクル・ビショップ著/小野田和子訳、国書刊行会)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第五回】
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- 『アルテミス』(アンディ・ウィアー著/小野田和子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第七回】
- 『アイアマンガー三部作』(エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第九回】
- 『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド著/谷崎由依訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第10回】
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