作成日:2018/03/21 最終更新日:2018/10/27 かいたひと:松崎有理
#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。
本書のうわさをきいたとたん、やられた、と思った。タイトルどおり嘘、そして化石をテーマとしているからだ。
大学では進化生物学を学んだ。露頭(地層がむきだしになっている崖をさす専門用語)にはりついて化石を探す青春だった。
作家となってからは嘘とも縁が深い。拙著『架空論文投稿計画』は徹頭徹尾、嘘(捏造)論文を書く話だし、『嘘つき就職相談員とヘンクツ理系女子』では嘘道百歩七嘘派家元という嘘つきのプロが活躍する。
すでに本書は傑作ミステリとして評価が高いので、ミステリ方向からの評はくりかえすまい。松崎は本書を「嘘」+「化石」=捏造化石をめぐる物語として読んだ。おそらく、この観点から書評をするひとはほかにいないだろう。
物語の舞台は1868年のイギリス南部。サンダリー一家はケントから、おそらく英仏海峡のどこかに浮かぶ離島へ逃げるように移住する。この時代と場所の選定には著者の作意が感じられる。1868年とはダーウィン『種の起源』が出版された九年後、日本では奇しくも明治元年にあたる。十九世紀後半は科学史的にあらたな発見・発明があいついだ時期で、ファラデーやマックスウェルが電磁気学分野で活躍し電信が実用化され、パスツールとコッホが微生物学を武器に医学の常識をぬりかえていった。それまで宗教一色の生活をしていたひとびとが科学の威力を無邪気に信じはじめた時代である。
本書に深く関連する地質学は、イギリスが発祥の地。チャールズ・ライエルがとなえた斉一説は「現在は過去を解く鍵」というキャッチコピーで知られる。現在も過去も変わらぬ物理法則のもと、地質の変化は膨大な時間を経てすこしずつ連続的に起こると説いた。のち、ダーウィンの進化論にも強い影響を与える。
これに対し、とつぜんの天変地異的大変動によって地層や化石の形成を説明したのはフランスのジョルジュ・キュヴィエだ。斉一説は聖書が説くよりはるかに長い時間を前提としていたが、キュヴィエの天変地異説は天地創造やノアの大洪水と相性がよかった。だが本書が描く時代には、天変地異説はすでに敗北しかかっていた。
サンダリー一家がイギリスを離れてフランスの方向へむかったのは暗示的である。なぜなら主人公の少女フェイスの父、エラスムス・サンダリーは博物学者だが、本業は牧師だからだ。
サンダリー一家の「都落ち」にはもちろん理由がある。サンダリーの発見した新種の化石に捏造疑惑が持ちあがったためだ。くだんの化石とは、翼のある人間。これとそっくりの種族が聖書に登場しているとのこと。
ここを読んで松崎は「ベリンガー事件」を思い出した。その真相はスティーヴン・ジェイ・グールドの著作『マラケシュの贋化石』にくわしい。十八世紀ドイツの博物学者ヨハン・ベリンガーは、尊大な態度ゆえ同僚たちからうらまれていた。同僚たちは巧妙な贋化石をいくつもつくり、ベリンガーの調査地に埋めて彼が発見するようしむけた。ベリンガーはこれらを天然であると信じ、図版を載せた著作まで出版してしまう。以後この事件は(すくなくとも地質学徒のあいだでは)有名な捏造事例として教訓的に語り継がれている。
サンダリーの捏造とベリンガー事件には共通テーマがある。科学と宗教の対立だ。
ベリンガーの贋化石には生物だけでなく、彗星や三日月、顔のある太陽、ヘブライ文字のレリーフまでが含まれていた。これらを本物とみる感覚は現代のわれわれからすると驚きだが、当時の常識ではそう突飛ではなかった。そのころはまだ化石が生物由来か鉱物由来かの決着がついていなかったためだ。前者は、死んだ生物が土砂の堆積とともにゆっくり時間をかけて化石になったと説明する。つまり上で触れたライエルの斉一説と同じである。いっぽう後者によれば、化石とは鉱物の変成の結果であるのだから比較的さいきんの産物でもかまわないわけだ。聖書的解釈の可能な、キュヴィエの天変地異説に通ずる考え方である。ベリンガーは後者の立場をとって、くだんの贋化石を天然物と判断したのだった。
さて、本書のサンダリー。ベリンガーとちがって彼は捏造した側である。知的な彼のこと、捏造にはリスクがともなうことを理解していただろうに、なぜ。そして本書のタイトルである嘘の木はどう関わってくるのか。
嘘の木とは本書唯一のファンタジー要素で、嘘を与えると真実を教えてくれる木である。サンダリーはある事情でこの木を入手した。牧師である彼にはひとつ、どうしても答えを知りたい謎があった。人間は聖書のいうように神がつくりたまいし存在か、それともダーウィンがいうように猿の子孫(正確には親類)にすぎないのか。
人類の起源にまつわる秘密を知りたいのなら、私のつく嘘もそれにまつわるものでなければならない。(中略)
真実のために、私は嘘をつこう。
(p173~4より引用)
だから彼は、聖書に登場する民を模した化石を捏造して発表したのだった。
ところで筆者の企みはキャラクタの名前にもひそんでいる。主人公フェイスの名はずばり「信仰」の意味。父エラスムスは、チャールズ・ダーウィンの祖父と同名である。ついでにいうと、著者のファーストネームはダーウィンの奇人のいとこフランシス・ゴールトンと同じだ(すこし綴りがちがう)。さすがにこれは偶然だろうけど。
以上の化石関連うんちくは、もちろん一蹴していただいても本書をじゅうぶんに楽しめる。再度いうがミステリとしてはほんとうにすばらしい。それともうひとつ松崎が強調したいのは、理系女子予備軍の成長物語として出色であるところだ。
主人公フェイスの生きる時代は、女に知性など不要とされていた。フェイスは女だから、どんなに賢く好奇心旺盛で科学だいすきでも科学界=「ザ・男の世界」に居場所はない。しかも彼女は、母親のように美しくも社交上手でもないから女性側の世界にも居場所がないのである。そんな精神的にも物理的にも(なにせコルセットやらクリノリンやらでぎゅうぎゅうに締めあげられている)きゅうくつななかで、敬愛する父の謎めいた死にうちのめされつつも、その謎を解き明かし、成長していく姿が熱い。
さすがに現代日本では、女の子が岩石ハンマー片手に露頭を這い回ったり微分方程式を解いたり旋盤をあやつったりしてもあからさまに批難はされない。それでも、道をすすんでいけばいずれ困難につきあたるだろう。ここはまだまだ「ザ・男の世界」だと気づいてがくぜんとするかもしれない。そんなとき本書のラストを思い出してほしい。あなたのえらんだ道がどれだけ細く険しかろうと、その先には希望がある。
すべての理系女子とその予備軍へ。本書を読んで勇気を出そう。
【ほかのかたによる書評】
【おすすめの本・ノンフィクション】
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スティーヴン・ジェイ・グールド『マラケシュの贋化石』
ベリンガー事件についての入手しやすい、かつくわしい資料。例によってグールド先生が徹底的に原典をあたってくれているので盤石。 -
スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来』
第十八章が、斉一説と天変地異説について。プロの解説なのでもちろんこちらも盤石です。
【おすすめの本・フィクション】
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K. ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』
松崎の知るかぎりで唯一成功している進化論テーマのフィクション作品。「生き残るのは偶然にすぎない」、「進化は進歩と同値ではない」というふたつのメッセージを明確に伝えている。希望があるんだかないんだかよくわからないラストが好き。 -
ドナ・W. クロス『女教皇ヨハンナ』
時代は中世。やはり学問を愛する少女が、女であるがゆえの困難さにほとほといやけがさして男装することを決意。男として出世街道を突き進み、さいごは教皇にまでのぼりつめる。ロマンスありだけど「服を脱がされたら女だってばれちゃう!」みたいな方向性とはちょっとちがう。巻末の著者あとがきに古代から近代までの男装女子列伝あり。
【フォロワー感謝企画、ほかの書評記事】
- 『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】
- 『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ編/中原尚哉ほか訳、早川書房)(これが第三回に相当。翻訳ミステリー大賞シンジケートさまのサイトへとびます)
- 『隣接界』(クリストファー・プリースト著/古沢嘉通と幹遙子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第四回】
- 『誰がスティーヴィー・クライを造ったのか?』(マイクル・ビショップ著/小野田和子訳、国書刊行会)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第五回】
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