作成日:2018/04/24 最終更新日:2018/10/27 かいたひと:松崎有理
#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。
#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。
あくまで私見の感想をいわせていただくと、惜しい。
アンディ・ウィアーのデビュー作『火星の人』はどこにも文句のつけようがない大傑作だった。本書は待望の二作目だから、どうやったって前作と比べられちゃうのはしかたないでしょう。今回も、前作同様リアリティはすばらしい。月面都市アルテミスのつくりこみぶりは、読んでいるといますぐ観光に行きたくなってしまうほど。食事やらシャワーやらの日常の些事を、6分の1重力下の閉鎖環境でどうしているのかくわしく描いており、暮らしているひとたちの息づかいまで感じられるようだ。アルテミスの地図もばっちりついているからなんだか旅行ガイド本っぽくて、旅ずきなひとは都市の描写に大満足することだろう。
もちろん設定だけでなくストーリーもよくできている。100万スラグ(=月の通貨単位)の報酬をかけた破壊工作というきなくさい仕事を受けたことからはじまって、やがて主人公は大きな目的のために仲間たちと力をあわせて超困難ミッションにいどむことになる。大きな目的とはなんなのか、ネタバレになるからここでは触れないけれど、設定を偏執的なほどにつくりこんだ意味がしっかり活かされたすばらしい流れである。オチもエンタメの王道で好感が持てた。
ではなにが(あくまで松崎が個人的に)惜しいのかというと、惜しい点はふたつある。
まず一点めが、語り口だ。
本書は終始、二十六歳のアラビア人女性ジャズによる一人称で語られる。「人称ってなによ」(*1)という読者のためにざっくり解説すると、小説における人称は大きくわけて一人称と三人称の二種類がある(*2)。一人称は主人公「わたし」が語る形式、三人称は主人公を「彼/彼女」と呼んで客観的に描写する形式。『火星の人』を例に挙げれば、ワトニーのログパートが一人称で、地球パートが三人称である(*3)。
*1 「小説における人称なんてきいたことない。自分はなんとものを知らないのか」と落ちこむ必要はまったくないのでご安心を。一種の業界用語で、松崎だって作家になる前は知らなかった。
*2 じつは二人称もあるのだが、かなりまれ。「あなた」に向かって語りかける手紙文みたいな形式で、どうしても短い作品になりがち。比較的長いものとしてはテッド・チャン『あなたの人生の物語』、北村薫『ターン』など。
*3 拙作でよろしければ実例をお読みください。一人称(「やつはアル・クシガイだ」)、三人称(「バスターズ・ライジング」)。ともに『5まで数える』に収録された続きものだが、意図して人称を使い分けている。
一人称はむずかしい。細心の注意を払わないと読み手にうっとうしさを感じさせてしまう。
たとえば。小説の三要素とは「会話」「描写」「説明」。この「説明」をどう入れこむかは工夫が必要だ。『火星の人』ではワトニーの一人称パートはログすなわち記録文書であったので説明がどれだけ入っていようが自然によめたが、本作のようなふつうのエンタメ小説で、一人称の語りのなかで説明の分量をどのくらいにするかは判断に苦しむ。あまりに長いと一人称主人公がひたすら長広舌をふるってるみたいだし、少なすぎれば意味が通じない。だからじつは、三人称を選択して説明は地の文に流しこむほうが書く方も楽だし読む方もよみやすくて双方ハッピーなのである。
そして語り口。一人称とは主人公の語りそのものだから、性格がもろに出る。読者に好まれれば成功するし、嫌われてしまえば大失敗なので、リスクの大きい選択といえる。本書のジャズの語り口は、(なんどもいうけどこれは私見ですよ)松崎はどうやっても好きになれなかった。『火星の人』のように三人称パートがあるならまだいいが、好みでない語り口が一冊まるごとつづくのはきつい。読みながらずうっと、「もっとふつうにやってくれればいいのに」「これ三人称だったらずっと読みやすいのに」と思っていた。以下に例をあげよう。
「ヤバッ!」スピードを落とすヒマはない。わたしは最後の一歩を跳んで、前転した。ジャストのタイミングで――スキルというよりは、運の問題だったけれど――壁に足からぶつかった。はい、たしかにボブのいうとおり。スピードの出しすぎでした。
(上巻11ページより引用)
「よお、ジャズ・バシャラじゃないか!」近くのアホがいった。友だちみたいな口をきいてくるけど、友だちじゃありません。
「デイル」わたしはいった。足は止めない。
(上巻20ページより引用)
うん、こういうの好きなひともいるのでしょうね。でも嫌われたら、そこで本を投げ出されてしまう。松崎はそんなリスクをおかす勇気がないので、よほどのことがないかぎりつねに三人称を選択(*4)している。
*4 もっとも松崎もデビューしたてのよちよち歩きのころは一人称を使いまくっていた。いまにして思えば、『代書屋ミクラ』シリーズ以外はすべて三人称でよかったような。読みにくくてごめんなさい。反省しています。
そして惜しい点ふたつめ。冒頭部分の構成にやや難がある。なかなか物語が動き出さないのである。
本書において、物語の動き出すポイントとは「100万スラグのやばい仕事をうける」シーンだと思うのだけど、これがなんと68ページになってからやっとはじまる。つまりここまでが導入部なわけだが、これだけページをつかいながら主人公ジャズの魅力がいまいち伝わってこない。具体的には、まわりがすごいすごいとほめるわりにそのすごさを彼女自身の動きでみせていないし、大金を必要とする理由をもっと強調していいと思う。あれではたんに彼女がいい部屋に住んでいい暮らしをしたいためだけに金をほしがっているみたいにみえてしまう。
松崎が読者として純粋にエンタメ小説を楽しむときは、50ページをすぎてもまだその本が自分に合わないと思うなら、そこで読むのをやめることにしている。パオロ・マッツァリーノさんが『13歳からの反社会学』で述べている基準に倣っており、経験上ひじょうに有効である。だからもし書評を書くという目的がなければ本書はとちゅうで投げ出していた。そして映画が公開されたらそちらを鑑賞したことだろう。
映画のばあい、導入部に68ページ(10~15分相当くらいかな)つかってもなんの問題もない。なぜならいったんチケットを買った観客はめったなことでは席を立たないからだ。じっさい、『火星の人』映画版の冒頭ではワトニーが火星に置き去りにされるいきさつを時系列に沿ってていねいに紹介している。だが小説のほうは、九死に一生を得たワトニーがログをつけだすところからはじまるのである。
というわけで、えらそうに上から目線でダメだししてしまったけれど、一点めはまったく気にならないひとも多いだろうし、二点めだって致命傷ではない。全体的にみれば設定もストーリーもほんとによくできたエンタメなので、週末の一気読み用に強くおすすめいたします。映画もいまから公開が楽しみです。
【おすすめ関連書籍】
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『渇きの海』アーサー・C・クラーク
こちらも月面観光+超困難ミッションがテーマ。究極のエンタメ小説として各方面から大絶賛。どうにも止められないくらいの疾走ベクトル感覚でラストシーンまで連れていってくれる。なによりすごいのが、この作品が1961年に出版されていること。半世紀も経っているのに、まったく、ほんとにまったく古さを感じさせない。物理法則により構築された整合性は永遠にゆるぎないものだからだ。真にすぐれたSF小説に小手先の最新ガジェットなど必要ない。また、人間が詳細に描かれていることも大きな理由。物理法則と同様、人間の本質もそう変わることはない。よって、この作品は軽く数十年を飛び越えることが可能になった。鏡晃氏による巻末解説も秀逸。 -
『神々自身』アイザック・アシモフ
本書は三部構成になっており、第三部が月面都市の話。しかし第二部が異常に傑作すぎるため、正直いって第三部はかすんでしまっている。月での低重力スポーツ描写とかすばらしいんだけどなあ。
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