作成日:2011/3/4 最終更新日:2017/11/08 かいたひと:松崎有理
*本稿は取材先の認可を経て執筆、掲載しています。
ごあんない:
岸本直子 Naoko Kishimoto 先生 略歴:
1990年 京都大学文学部史学科考古学専攻卒業
1997年 京都大学工学部航空工学科卒業
1999年 東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程修了
2004年 東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻博士後期課程単位修得満期退学
2004年 博士(工学)取得
日本学術振興会特別研究員、(独)宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部共同研究員を経て、
2006年より(独)宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究本部招聘開発員
現在 科学技術振興機構 さきがけ研究者 (京都大学大学院 工学研究科)
「いきものだいすき、な子でしたよ」
どんなお子さんでしたか、という問いに、岸本先生は少女みたいに目を輝かせながらこう答えた。
「蜘蛛がすきなんです。
ワカバグモっていうちっちゃくてうすみどりのかわいらしいやつ、いるでしょ。
あれを、飼っていたんです。夏休みの自由研究のために」
じつは、松崎も蜘蛛はけっこうすきだ。
話を振ると、もうとまらない。蜘蛛の標本をつくったこと、巣の張りかたを観察したこと。
「なにより、脱皮がおもしろいですよ。神秘的でしょう」
――わたしたち哺乳類は、しないですからね。
「羽化、ってやつも興味があるんです。
だから、これは大人になってからの研究ですけど、
トンボが羽化するときの羽の伸び方は、重力にどう影響されているのか、という実験をやりました。
無重力下ではどうなるのか、ぜひみてみたいので、宇宙実験にも応募したことがあるんです」
――羽化も、わたしたち哺乳類はしませんからね。
それじゃあ、子供のころの夢はやっぱり生物学者?
「いや、医者になりたかったんです。叔母が医師でしたので」
――でも、最終的には工学の研究者になった。
「中学生のころ放送していた『機動戦士ガンダム』がきっかけでした。
衝撃的でしたね。あれをみて『じぶんの手でスペースコロニーをつくりたい』
と、強く思ったんです。いまでもそう思っています」
――ご経歴が、とても不思議です。文学部考古学科卒、それから工学部へ。
「どっちもだいすきなんです。どっちもあきらめたくなかった。
だから高校時代の進路希望は、第一が工学で、第二が考古学。先生も困っていたでしょうね。
で、両方受験して、文学部のほうに受かったからそっちに進学した」
(このあと、ご出身の大学の文学部がどれほどの変人巣窟っぷりであったのか、オフレコ話題がしばらく続く。
松崎および傍聴者、大爆笑。腹筋が痛んで困った。
「カルチャーショックでしたよ」とは、一連の思い出話を終えた岸本先生)
「それで。やっぱりスペースコロニーをつくりたいので、工学部に再進学することにしました」
――かなり時間がかかったようですが。
「文系から理系へ、の場合は、三年次編入が認められないんですよ。数学をやっていないので。
だから、センター試験から受験しなおしました」
――それでは、女性ならではの質問へ。
お子さんがふたり、いらっしゃいますが、小さいときはどう対処されていましたか?
「研究ブランクはつくらないようにしていました。
いちど止まってしまうと、つぎに動き出すのがとてもたいへんなので。
ひとりめを産んだのは、工学部の学部在籍時代でしたが、休みませんでした。
事務の女性たちとなかよくなって、協力してもらったりとか。
それでもきつくて、けっきょく二回、留年しました」
――ご両親に手伝ってもらう、というのは?
「ああ、それはありませんでした。すむところも遠かったし」
――託児所は、学内に?
「学内にはなかったんです。だから民間の、ふつうの保育園に。
でも、それがわたしにとってはとてもよかった」
――どんなところが?
「だって、ふだんは接することのない、研究者じゃない女のひとたちですよ。その人間模様がすごくおもしろかったんです。
わたしの家って居心地がよかったらしく、彼女たちが集まってきては、号泣しながら身の上を語る、語る」
――それはきっと、岸本先生の人徳、なんでしょうね。
「どうなんでしょう。
でも、引っ越してからもやっぱり、お母さんたちが集まってきては語る、語る」
――確実に人徳です。
ご主人も研究者ですが、ライフスタイルなどはどのように?
「子供がまだ小さいときに、夫のほうが東京に転勤になったんです。
そのとき、わたし、大学院受験の時期で。
夫いわく、『七年くらいの任期のはずだ。そのころには(岸本先生の)大学院も終わる、家族そろって関西に帰れる』
その言葉を信じて、いくつか受かっていた中から東大をえらんで、子供ともどもついていったんです。
そしたら彼、たった三年でまた関西にポストが決まってさきに帰っちゃった。
だから、わたしは大学院を終えるまで、子供といっしょに東京ぐらしでしたよ」
――研究者夫婦はどうしても、すれちがいが多くなりますよね。
「子育てって、だいたい二十年くらいかかるでしょ。
前半はわたしがやったんだから、後半はあなた、ってことで
子供が中学にあがった時点で、ひとりずつ順番に、関西の夫のもとに送り帰したんです。
あとから子供にきいたら『おやじと住んだ数年間は、ぼくにとって暗黒時代だった』と」
――お子さんがちいさいときの生活は?
「まわりから『岸本さんって、三人いるでしょ』っていわれるほどでした。
朝から大学に来て、子供を送り迎えして、夜にまた来る、ってかんじで。
二時間くらいずつ分断睡眠ができる体質だったのが幸いしましたね」
――いま興味をもたれていることは?
「歴史がすきで、本がすきなんです。
いまのトピックは、第一次世界大戦。
なぜおきたか、なぜあのように進んでいったのか、を夫と議論してます」
――フィクションも読まれます?
「すきですよ。傾向としては耽美系・怪奇系かな。子供のころは横溝正史、つぎにラヴクラフトにはまりました。
SFもよみます。アシモフやクラークはだいすきです」
――ご専門の分野で、一般向けに書かれたおすすめの本をおしえてください。
「うーん。いわれてみると、あんまりないんだよなあ。
そうだ。『人工衛星と宇宙探査機』(コロナ社)が、いいと思います」
――これからやってみたいことは?
「やりたいことは、みんなやっちゃいました」
――すばらしいです。しかし、そこをなんとか。
「そうだなあ。あえていえば。
さいきん、理学の研究者たちと付き合うことが多いんですが、
工学って、まず役に立つかどうか、という実用本位の姿勢でしょう。
理学は、そうじゃない。好きだから、おもしろいから、が最大の動機になっているんです。
そこをまねして、なーんの役にも立たないけれど、自分がおもしろい、と思うことをやってみたいな」
「『宇宙プランクトン』って、どんな研究なんですか?」
という松崎の基本的質問には、こうこたえてくれた:
「プランクトンの生きている水中って、微小重力でしょ。
だから、その殻の構造を、宇宙空間での建造物のデザインに生かせないかな、という研究です」
豪快に笑う、熱く語る。
エネルギッシュであかるい岸本先生だけど、きっとひとしれずいっぱい苦労をしているんだと思う。
それでも、やりたいことを追求し、時間をかけても達成してしまう。そんな姿勢にふかく感動した。
もっといっしょにいて、いっぱいお話をききたい。そう思わせる、魅力的なひとだった。
(2011年3月4日 東北大学総合学術博物館 教官研究室にて)
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宇宙プランクトンプロジェクトの研究者 JAMSTEC 木元 克典 博士 のインタビューが、こちらから読めます(外部サイトにとびます)。
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