作成日:2011/02/04 最終更新日:2017/11/07 かいたひと:松崎有理
*本稿は取材先の認可を得て執筆、掲載しています。
「このひとは、”問うひと”だ」
というのが、今回のインタビューをつうじて松崎が郷先生に抱いた印象だ。
インタビューの日程がきまってから、郷先生の執筆したもので予習し、
実際にお会いしてお話をきき、
帰ってからまた復習して、
ますます、このひとは徹頭徹尾、疑問をもち問いつづけるひとなのだ、という思いを強くした。
しかもこのインタビュー、ものすごく楽しかった。二時間半があっというまだった。
以下で、当日の雰囲気をいくらかなりともお伝えできれば。
郷 通子 Mitiko Go 先生 (理学博士、生物物理学) 略歴:
1939年うまれ。
1962年 お茶の水女子大学理学部物理学科卒業
1967年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了
コーネル大学博士研究員、日本学術振興会奨励研究員、九州大学理学部非常勤講師を経て、
1973年 九州大学理学部生物学科助手
1989年 名古屋大学理学部教授
1996年 名古屋大学大学院理学研究科教授、東京大学 分子細胞生物学研究所客員教授
2003年 長浜バイオ大学バイオサイエンス学部学部長
2005年 お茶の水女子大学学長、長浜バイオ大学特別客員教授
現在 情報・システム研究機構 理事
「”なぜ?”と、きく子供だったんです」
幼少時代について質問した松崎にたいし、郷先生はこう答えた。
「でも、そうやってきいてみると、理屈っぽい、っていやがられたんですよ。
もちろん、時代のせいもあったでしょうね。女の子なんだからだまって、みたいな。
でも、思えばここが出発点だったのかもしれません。どうして質問しちゃいけないんだろう、からはじまって
どうして自分は女に生まれてきたんだろう、そして、そもそもなぜ生きているんだろう、と
問いが発展していったんですね」
そしてたどりついた問いが「生きものらしさとはなにか」だ。
「もともとはね、数学が好きだったんです。あの、すぱっときれいに答えが出るところが。
でも、大学では物理を専攻しました。より広がりがある、と思ったんです。
生物ですか? きらいでした。だって、暗記科目みたいで。目や耳の構造なんて、各論にすぎないでしょう」
――それでは、どんなきっかけで生物学に?
「名古屋大学の大沢文夫先生が、集中講義で三日間、きてくださったんです。
そのとき、DNA二重らせんの話をはじめて聞きました。
それで興味をもって、生物物理学をやってみたい、と思ったんです。
そして、名古屋大学大学院の大沢先生の研究室に進学しました」
――大沢先生からは、とても深い影響をうけられたようですね。
ちょっと予習をしてきたのですが(といって大沢先生の著書『飄々楽学』をとりだす)、
しばしば、おふたりは共通のキーワードを使っていらっしゃいますね。
たとえば「生きものらしさ」「ゆらぎ」「状態」など。
「影響はとても大きいです。
1981年のNatureの仕事 *) ですけど、
あれも、大沢先生のところで学んだことが、10年後になって出てきたようなものなんですよ。
研究者の仕事って二種類あって、
すぐに出るものと、出るまでに時間がかかるものがあるんですね。これは後者」
――大沢先生も、著書のなかで郷先生になんども言及されていますよね。
それと(『飄々楽学』中の写真を示して)驚いたのが、大沢研究室の女性の多さ。三分の一くらいかな、当時としてはすごいことですよね。
「こんなに女性の比率が高いのは、名古屋大の物理学科でもここだけでしたよ。
わたくし、思うんです。女性がたくさんいるラボは、よいラボだ、と」
――名古屋大学って、どんなところでしたか?
「自由なところでした。学生も教員も同等、という雰囲気があって。
そうそう、大学の歴史って、とてもだいじなんですよ。
名古屋大は旧帝国大学のなかでもいちばんあとにできたので、
当時の教授たちは、いわば第一世代だったんです。
新しかったから、自由だったのでしょうね。
百数十年の歴史があるお茶の水女子大学とは、かなりちがいます」
――研究における転機の事件、ってなんだったのでしょう。
「アメリカ留学から帰国したときです。
アメリカでの受け入れ先だったコーネル大学のHarold A. Scheraga教授が、別れぎわに
『これからは、ここでの仕事とはちがったことをやりなさい』
と、おっしゃったんです。
だから、帰国後に九州大学へうつったのをきっかけに
これまでの物理化学的方向から、
生物の方向にスイッチしました」
――この九大時代に、Natureの仕事をされたわけですが、くわしい経緯をおきかせください。
「九大の助手に採用されたのが73年でしたが、
77年に、イントロンが発見されました。
当時は研究室でも話題になって、ひじょうに盛りあがっていたんです。
すごくおもしろい現象ですよね、真核生物の塩基配列にあんなにもむだな部分があるなんて。
なぜ? って、また思ったわけですよ。なんとかして、自分がこの分野の研究に切りこみたかった。
でも、ちょうど子育ての忙しい時期で。
子供のちいさいときって、やっぱり生産性が落ちます。半分くらいに。
Natureの論文は、下の子が小学校にあがって手がかからなくなってから、できた仕事でした」
――女性研究者にとっての子育て、とは?
「時間を奪われますけれども、けっしてむだじゃありません。
いろんな考え方のひとと接するようになりますから、ものの見方がひろがるんですよ。
物理学みたいに、ものを近くからみてinteractionを検討するのもだいじですけれど、
ときには遠くから、ぼうっと、ながめてみるのもすごくだいじです。
写真のポジ・ネガみたいに、ものごとを逆にみるのも、ね」
――ああ。それがNature(1981)の“GO Plot” **) に、つながるんだ。
「そう。子育ての経験は、あの仕事に結実したわけですよ。なにごとも、むだにはならないんです」
――研究者をやっていてよかったな、と思うときって、どんなときですか。
「世界中のだれも知らないことを、いま自分がみつけた、という瞬間が、なんといっても研究の醍醐味でしょう」
――これからやりたいことって、なんでしょう?
「生物における”ゆらぎ”とはなにか、が今後の課題です。
DNAからタンパク質に翻訳される過程で、むだで不合理なことがいろいろ起きています。
イントロンも、そのひとつ。とにかく、生きものってむだが多い。
ひと筋縄じゃいかない、ひとつのストーリーでは語れない。でも、そこが魅力なんです。
知りたいのは、生きていくことの実態と、進化です。進化って、生命の究極の目的だから」
――これから研究者をめざそうという若いひとたちにメッセージを。
「目標はできるだけ高く。そう、世界のトップをめざしなさい。科学に国境はないのですから。
それと、ひとに言われたことでなく、自分が好きなことを、自分の責任でやりなさい。そのほうが後悔がありません。
Challengeすれば、おのずと道は開けます。てきとうなところでいいや、では夢がなさすぎます。思いきって行きなさい。
たとえちがう分野に進むことになっても、それまでやってきたことはかならず役に立つものですよ」
――すごく勇気づけられました。
「日本って、potentialがあると思うんです。気づかれていないだけで。
これからは、日本的なものをどんどん発信していけばいいと思います。
そうだ、さっきのイントロンも、日本的考え方ですよ。一見むだ、っていうところが。
西洋合理主義はむだなものには注目しませんからね。
わたくしはイントロンって”間(ま)”だ、と思うんです」
――”間(ま)”? (松崎の脳内には俵屋宗達『風神雷神図』が浮かぶ) なんと斬新な指摘。まいりました。
*) Go, M. (1981). Correlation of DNA exonic regions with protein structural units in hemoglobin. Nature, 291, 90-92.
**) アミノ酸どうしの距離が近いもの、ではなく、ふつうとは逆に遠いものに着目してつくった図。
この画期的手法により、イントロンとタンパク質立体構造との対応があきらかになった。
(2011年2月1日 情報・システム研究機構 理事室にて)
今回のインタビューは:
東北大学大学院 工学研究科 工藤成史 教授
東北大学理学研究科 野崎壮一郎 さん
の、ご協力により実現いたしました。
*********
『飄々楽学』 大沢 文夫 著 白日社(2005)
郷先生の師、大沢先生の自伝的著書。バックグラウンドを知るには欠かせない。
「生物物理学の源:大沢文夫先生のこと」 生物物理 (2010) Vol. 50 , No. 3 pp.118
郷先生が大沢先生の思い出を語る。PDFでよめます。
「表現形質としてのたんぱく質とその進化」 科学 (2004) Vol.74 No.10 pp.1240-45. 岩波書店
DNA塩基配列というハードにたいし、配列中のどこをエクソンとし、どこをイントロンとするかはひじょうに柔軟でソフト的、との示唆。
「ゲノムが劇の脚本ならば、タンパク質は役者だ。
脚本どおりにすすむのが基本だが、
役者はときに台詞をまちがえるし、アドリブも生まれる」
とは、的確で秀逸なアナロジー。
『生物物理学とはなにか―未解決問題への挑戦 (シリーズ・ニューバイオフィジックスII-10) 曽我部 正博・郷 信広 編 共立出版 (2003)
第一章 1-1「生物物理学はなにをめざすか――生物機械論と生物らしさ」を大沢先生が、
第三章 3-5「ゆらぐ生物世界――進化のしくみを内蔵か」を郷先生が書かれている、というお得な一冊。
おふたりの共通語彙をさがしてみるのも興味ぶかい。
「私と科研費」 日本学術振興会 平成21年2月
松崎、および松崎の担当編集者的には白眉の文章。
これについて、郷先生とのあいだで、こんな会話があった:
「いやその、担当者がかけんひ(=科研費のこと。松崎の作品には頻出)だいすきなんですよ。
きっと、これを読ませると、科学研究においてどのようにお金が交付され、使われるかが、彼のような外部のひとにもよくわかってもらえると思うんです」
「わたくしにとっての科研費って、研究者であるあかしだと思っています。研究遂行に不可欠ですから。
秋の申請書づくりは年中行事のようなものです。今後一年の研究計画をたてるわけですし。
でも、そんな受けとめかたをしてもらえるとは新鮮です。科学にかんする情報は、もっと外にむけて発信すべきですね」
……インタビュー終了後。
出版社に出向いた松崎、もちろん担当氏に「私と科研費」のコピーを進呈する。
彼が狂喜していたことはいうまでもない。
理系女子応援企画は、こちらでもやってます:
東北大学サイエンス・エンジェル――理系女子応援企画・その1
『学校教育におけるジェンダー・バイアスに関する研究』からわかったこと――理系女子応援企画・その2
名古屋大学理系女子コミュニティ あかりんご隊――理系女子応援企画・その3
理転の宇宙工学者・岸本直子先生――理系女子応援企画・その5
リアル女性数学者・小谷元子先生――理系女子応援企画・その6
研究と研究者の世界に興味のあるかたへ。松崎の著作『架空論文投稿計画 あらゆる意味で
でっちあげられた数章』は、研究の舞台裏をサスペンスフルに描いています。論文執筆や科研費申請についての裏話も豊富です。
『架空論文』特設ページでは本書の目次や冒頭試し読みを載せています。
上のインタビューと前後して執筆された拙作「不可能もなく裏切りもなく」は、おそらく国内唯一のイントロンをテーマとしたエンタメ小説です。デビュー短編集『あがり』に収録されています。