『蝶のいた庭』(ドット・ハチソン著/辻早苗訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第八回】

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作成日:2018/05/24 最終更新日:2018/06/07 かいたひと:松崎有理

#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。

エンタメ作品のばあい、カバーに付された情報をどう扱うかはいつも悩ましい。まったく情報がなければ本を選びようがないし、かといって情報が多すぎては読書の楽しみをそこねてしまう。

袖の登場人物一覧は(すくなくとも初読のさいは)ネタバレだからみないという自分ルールをもうけているひとはけっこういるのではないか(*1)。本書もやはりネタバレになるのでみないほうがいいだろう。みなかったおかげで松崎は、三部構成である本書の第一部ラストでじつに新鮮な、そして震えあがるような驚きを味わうことができた。だからせめて第一部を読み終えるまでは袖に目をやらないことをおすすめするしだいである。

*1 せっかく登場人物一覧をつくってくれている出版社の名誉のために補足すると、やっぱりあるとべんりです。人数がおおすぎてとちゅうで混乱してきたときはとくに。

なお裏表紙のアオリ「一気読み必至、究極のサスペンス!」は事実である。松崎も一気読みした。読み終えたら午前四時で外ではすずめが鳴いていた。週末でよかった、と思った。そして本書はミステリではない。物語の冒頭で犯人はすでにつかまり、監禁されていた被害者たちは助け出されているからだ。この被害者女性のひとりが供述のかたちで事件を語るのが本編となる。
本書の最大の魅力は主人公であるこの女性の語りにある。捜査官たちの質問をはぐらかし、時系列をいったりきたりして読者を翻弄する語りの魔力は巻末の訳者あとがきや各氏による書評(本記事末尾に紹介)がぞんぶんに説明してくださっているのでここでは繰り返すまい。
だから本稿では、松崎が(たぶん)独自に見いだした本書の読みどころポイントをご紹介したい。

注意:以下はネタバレを含みます

ポイントその1 極限状況でどう生きるかを問う

本書を読みながら松崎は、ヴィクトール・E・フランクルによる名著『夜と霧』を思い出していた。ある日とつぜん拉致され、名前を剥奪され、監禁中はつねに暴力にさらされ、遠からず強制的な死が待ちかまえているという構造がそっくりである。『夜と霧』と同様に本書は、極限状況でひとはどのように生きるかを問うた作品であると思う。

人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい……。

(『夜と霧 新版』p27より引用)

ひとは本書で描かれるとおり極限状況に適応していくのである。たとえば主人公は監禁者に強姦されるとき、ポーの詩をひたすら唱えるなど解離(*2)による逃避を実行している。

*2 解離 心理学用語。肉体的精神的にすごくつらい体験をしているとき、自己を崩壊から守るため自分で自分を催眠状態にすること、くらいに松崎は理解しているが正確にはちがうかもしれないのでご注意。トラウマ的体験から逃れるための解離については小児精神科医レノア・テアによる『記憶を消す子供たち』がくわしい。

強制収容所の職員たちと本書の監禁者「庭師」の決定的なちがいは、前者は自分たちの行為が純然たる暴力であり、被収容者たちを苦しめるためにやっているという自覚があるのにたいし、後者はその自覚がないどころか自分はいいことをしているとさえ思っている点だろう。このあたりのかんちがい精神構造はセクハラ加害者(*3)と共通である。

*3 セクハラ加害者の精神構造については『壊れる男たち』金子雅臣、および『部長、その恋愛はセクハラです!』牟田和恵の二冊が白眉。これらに登場する事例を読んでいると加害者があまりに愚かで自分勝手で一方的で創造力が欠如していて、そして被害者があまりに弱くあわれでいらいらする。いらいらさせられるくらい深く描写された良書ってことです。

ポイントその2 悪いやつウオッチ

かように犯人「庭師」は悪人である。じつは本書に登場する悪人は彼だけではない。おそろしいことに。
「庭師」は自分のなかにゆるぎないルールを持つ、かなりわかりやすいタイプの悪人だ。彼のマイルールとは、「美しいものは短命だから美しいうちに保存せねばならない」(大意)。その対象が人間だというのだからもうりっぱな大犯罪者である。彼の長男はさらにわかりやすく、内なる破壊衝動にしたがってただひたすら被害者をさいなんでゆく。殺人にさえまったくタブー感を抱かない、真性のサディストである。じつはもうひとり悪人がいて、上述のふたりに比べ複雑なぶんだけ悪人度はより深いと松崎は思っている。この三悪人による三者三様の悪さ展覧会を味わうのも本書の読みどころといえよう。とくにこの三番目の悪人の悪さと弱さをみせつけられ、人間とはこういうものかと考えさせられる点で、本書はサスペンスというだけではなくホラーであるともいえるだろう。

【ほかのかたによる書評】
杉江松恋さん
佐竹裕さん
酒井貞道さん

【おすすめ関連書籍】
『どくとるマンボウ昆虫記』北杜夫
このまま終わっては蝶収集家がすっかり悪者にされてしまいそうなので。
このエッセイ集で虫を愛でる者へのやさしいまなざし、とまではいかなくとも、ふふっと笑うくらいの感覚を抱いていただければありがたいです。

【フォロワー感謝企画、ほかの書評記事】

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これはがっちりホラーです。

『5まで数える』カバー

出版社 筑摩書房
発売日 2017/6/8
単行本、四六判 264ページ
定価 1600円(税別)
装丁 アルビレオ
カバー 上田よう

●六冊目の単行本にして初のホラー短編集となりました。多様な舞台、いろんなテイストのお話が詰まっております。短編アンソロジーの好きな方におすすめです。電子版もあります(kindle楽天kobo、iBooks Store、紀伊国屋、hontoなど)。各種端末対応。ちょっと安くて1400円(税別)です。
もくじと作品概要
1、「たとえわれ命死ぬとも」動物実験が禁止されているので、自分の身体で実験するしかないんです ★冒頭試し読み
2、「やつはアル・クシガイだ――疑似科学バスターズ」ゾンビは一体も出てきません ★全文試し読み
3、「バスターズ・ライジング」科学者+奇術師=疑似科学バスターズ。その発足エピソードと、ドーナツ少々 ★冒頭試し読み
4、「砂漠」手錠でつなぎあわされた7人の凶悪少年犯罪者たちが飛行機事故で砂漠に放り出される ★冒頭試し読み
5、「5まで数える」失算症の少年、数学者の幽霊に出会う。モデルとなった数学者は表紙に浮いてます ★冒頭試し読み
6、「超耐水性日焼け止め開発の顛末」研究者二重オチのショートショート
●内容について、くわしくは筑摩書房内特設ページ、および当サイト内特設ページをごらんください。
「本よみうり堂」で朝井リョウさんによる書評が読めます。

松崎有理のほかの著作については、作品一覧ページをごらんください。

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