作成日:2018/07/24 最終更新日:2018/10/27 かいたひと:松崎有理
#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。
【もくじ】
1,概要
2,読みどころ、売りポイント
3,テーマ
4,おまけ・タイトルについて
5,翻訳小説書評シリーズ完結のごあいさつ
1,概要
本書は、ジャーナリストが手に入れた故人の手記(つまり遺書)を編集者が出版する、という形式をとっている。よってつぎのような三部構成をとる:
- 序文=編集者パトリック・ウォーカーによる本書出版の経緯(東京創元社公式サイトで読めます)
- 本文=ギデオン・マック牧師の遺書
- あとがき=遺書の複写をウォーカーに送付したジャーナリスト、ハリー・ケイスネスによる周辺調査報告
タイトルが述べるほど数奇な物語ではない。ウォーカーが「陰鬱のうちに育てられ、結婚に満足できず、報われぬ愛を抱き、宗教に迷い、瀕死の事故で痛手を負った男によるむやみにながい独白」(大意)と述べているがまあだいたいそのとおり。
本書に謎らしい謎はない。どんな物語かはウォーカーが序文でほぼあきらかにしてしまっている。つまり、いちばん数奇な点は、この牧師が悪魔と出会ったことだ。
松崎は本書にエンタメというより純文学にちかい印象をうけた。純文学とはプロットとかオチとかとはちがった次元におもしろさがあるもの、というのが松崎の持論だ。たぶん著者ロバートソンも似たようなことを考えていて、だからこそ「牧師、悪魔に会う」という大ネタをあっさり序文で割ったのだろう。それでも本書のおもしろさはいささかも揺るがないと信じて。事実、そのとおりである。
2,読みどころ、売りポイント
じゃあ本書のおもしろさってどこにあるのよ、という疑問が出てくるだろう。本書の中心をなす「遺書」は、ひとりの男が自分の幼少時代から死の直前までを詳細に綴った自伝だ。魅力はその詳細さにある。ふつうなら秘しておきたいであろう、あれやこれやとかなり恥ずかしい心の動きまでを正直に記している。しかも彼は、牧師でありながら神を信じていないという矛盾を抱えた人物である。彼がなにを考え、どう行動し、なぜ山中での死にいたったのか、そのいきさつを追っていくのがおもしろいのである。聖職者とはいえひとりの人間、しかもものすごく人間くさい人間であることがよくわかる。
じゃあ「遺書」だけでよかったんじゃないの、という疑問も出るだろう。だが編集者の「序文」とジャーナリストの「調査」ではさまれているところがおもしろさをいっそう増していると松崎は思う。こういうのを物語論専門用語で「枠物語」(*1)とよぶ。「古くさい」とか「物語に没入できない」とか、なにかと批判されがちな形式だけど、松崎は個人的に好きだ。好きというだけでなく、本書のばあい枠があるおかげで独自の効果が出ていると思う。とくに「調査」パートの出来はすばらしい。ここを読み終えると、そうかこの物語は「信頼できない語り手」手法(*2)をつかっていたのかとあらためて気づかされ、「遺書」パートの再読へ導かれることとなる。
*1 枠物語 『千夜一夜物語』『デカメロン』『フランケンシュタイン』などが典型。とにかく歴史ある手法なので古いっていわれちゃうのもしかたないけど、それだけ人類の心をゆさぶる根源的な魅力があるってこと。さいきんの作品ではシモンズ『ハイペリオン』、プリースト『奇術師』、マコーマック『パラダイス・モーテル』、ドキアディス『ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」』あたりが松崎はすごくすき。
*2 信頼できない語り手 物語の語り手(たいてい一人称)の語る内容が事実とちがっており、ちがっていることでおもしろい効果を出す技法、と松崎はとらえている。この手法でもっとも成功している例はやっぱりイシグロ『わたしたちが孤児だったころ』だと思う。まってクリストファーそれぜったいアキラじゃないから。
3,テーマ
本書のテーマはおそらく「目にみえないもの」であると思う。
ギデオン・マックは牧師の息子で、のち自分も牧師となるにもかかわらず一貫して神を信じていなかった。怒りや悲しみ、愛についても距離を置いていた。つまり目に見えないものはなにも信じなかったのである。
「パスカルは、もしコインを投げて表が出れば神が存在し、裏が出れば存在しない、だったら表に賭けるべきだといってる」ジョンが怒鳴り返してきた。「当たればすべて手に入るが、負けても失うものは何もないわけだからな。なのに君は、裏だという。牧師館の息子としては、いささか危険な賭じゃないか?」
「だからといって人と違うわけじゃないんだ」私は大声で言った。「しかし、パスカルの理論には穴があるよ。もし神を信じてもいないのに表に賭けたとして、そんなことを神様が見抜けないと思うかい?」
(p115より引用。パーティに出かけたギデオンと親友ジョンとの会話)
そんな彼だが悪魔だけは信じるようになった。じっさいに会ったからだ。会ったどころか命を助けられた。すくなくとも彼はそう主張している。
この小説に神は出てこないのに、悪魔はやたら濃いやつが出てくる、というのがすごくおもしろい点だと思う。善なるものは影が薄く、悪は存在感がある。ついでに魅力もある。本書の悪魔の造形はなかなか個性的なので未読のかたは期待されたし。
松崎はとくに信仰などないので、みえないものの典型として「神」「悪魔」を出されてもいまひとつぴんとこなかった。だけど本書ではこっそりとではあるが、ほかにもみえないものの例が語られている。ひとつは「愛」、もうひとつがこれだ。
「母さん、母さんは幸せじゃなかったのかい?」私は訊ねた。「父さんと暮らして、幸せじゃなかったの?」
「あなたには、私の言っている意味がわからないのね」母が言った。「お父さんと私は、釣り合ってたの。人は幸福のために生きるんじゃない。そんなもの、大事なことじゃないのよ」
(p142より引用、ギデオンの父が死んだ直後のシーン。強調は松崎による)
すみません松崎は、ひとは幸福のために生きるんだとばかり思っていました。でも本書を通読すると、このお母さんのいっていることじんわりわかるようになります。
4,おまけ・タイトルについて
本書のタイトル。既視感があるなあと思ったら、松崎の大好きなこの本と後半部分がいっしょだった:
ひょっとしたら『~の数奇な生涯』は、『〜の生活と意見』くらいに伝統的で有名なタイトルフォーマットなんだけど松崎が知らなかっただけかも、と思って国立国会図書館サーチで調べてみた。その結果:
いっぽう『~の生活と意見』:
ということは、本書のタイトル(邦題)はなにかの伝統に乗っかったのではなくオリジナルだったわけだ。たいへん失礼いたしました。
5,翻訳小説書評シリーズ完結のごあいさつ
松崎の公式Twitterのフォロワーが100人に達したことではじまったこの書評シリーズ。100人目フォロワー@mayu_takさんがあげてくれたおすすめ本リストをついに消化しましたので、これにておひらきとさせていただきます。@mayu_takさん、そしてみなさま、ここまでおつきあいくださってありがとうございました。
読書はもとからめっぽう好きなのですが、プロになると執筆用の資料を読むことに追われてほかの小説家の作品に触れる機会が減ってしまうというかなしい現象が起きます。しかしこの企画のおかげでたくさんのよい小説に出会うことができました。それと書評を書くのも苦手だったのですけど、ずいぶん鍛えられました。今後もし書評の依頼がきてもあとずさったり逃げたり断ったりせず笑顔で受けられることでしょう。
翻訳小説書評シリーズのバックナンバーは下のリンクから読めます。
【フォロワー感謝企画、ほかの書評記事】
- 『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】
- 『嘘の木』(フランシス・ハーディング著/児玉敦子訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第二回】
- 『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ編/中原尚哉ほか訳、早川書房)(これが第三回に相当。翻訳ミステリー大賞シンジケートさまのサイトへとびます)
- 『隣接界』(クリストファー・プリースト著/古沢嘉通と幹遙子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第四回】
- 『誰がスティーヴィー・クライを造ったのか?』(マイクル・ビショップ著/小野田和子訳、国書刊行会)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第五回】
- 『ジェーン・スティールの告白』(リンジー・フェイ著/川副智子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第六回】
- 『アルテミス』(アンディ・ウィアー著/小野田和子訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第七回】
- 『蝶のいた庭』(ドット・ハチソン著/辻早苗訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第八回】
- 『アイアマンガー三部作』(エドワード・ケアリー著/古屋美登里訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第九回】
- 『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド著/谷崎由依訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第10回】