作成日:2019/02/05 最終更新日:2020/02/11 かいたひと:松崎有理
登場人物のご紹介
●レポート執筆者/ヌガーくん 二十三歳。モポンチョキット村に代々つづく神官の長男。父の跡を継ぐ前に留学して外国の祭祀研究をすることに。日本文化を愛し日本語にも堪能。ソルボンヌにいけという父の反対を押し切って日本留学を決行、蛸足大学大学院に入学をはたす。おかげで実家からは半勘当状態。しかし仕送りは送られてくるらしい。甘すぎるヌガー父。(なおヌガー nougat という名前は父が留学中むちゅうになった菓子からとった)
●評者/ユーリー小松崎 三十三歳。蛸足大学大学院人類学研究室助教。ヌガーくんの指導教官。ロシア人クォーターだが生まれも育ちも日本なのでロシア語はほぼ話せない。四コマ専門まんが家とクラシック音楽評論家の顔ももつ。論文、著書多数。代表作は「島弧西部古都市において特異的にみられる奇習 “繰り返し『ぶぶ漬けいかがどす』ゲーム” は戦略的行動か?」。
レポート「日本における “冬の大チョコレート祭り” の起源をさぐる」
はじめに
本稿は蛸足大学人類学研究科博士課程前期一年次「文化人類学実習Ⅰ」のための第二回レポートである。
筆者がはじめて日本で冬をむかえて驚いたのはその寒さだけではない。各所で、とくに大型百貨店で、 さまざまな種類の高級チョコレートを売るイベントが盛大に開催されていることだ。筆者はこれを仮に “冬の大チョコレート祭り” と名づけた。
あきらかに日本は原料であるカカオの産地ではなく、歴史的にも関係が薄そうである。にもかかわらず:
①なぜ、この時期に
②なぜ、チョコレートを
売る祭りが開催されるのであろうか。
今回のレポートはこの謎について調査したい。
調査方法
-
調査場所 東京都内の大型百貨店5店舗(百貨店A〜Eとする)
-
調査期間 一月末〜二月上旬、各会場につき二時間
- 調査方法 観察とインタビューを併用
調査記録
祭り参加者の属性分布
若い女性が大多数を占める。高齢男性と子供はほとんどいなかった。
祭りのおもな特徴
- 日本の多くの祭りと同様、屋台食がある。
-
日本の多くの祭りと同様、著名なゲストがやってくる。このばあいチョコレート祭りであるので、ゲストとして招かれるのはチョコレート職人である。
日本の誇る伝統行事、冬の大チョコレート祭り(旧名:バレンタイン)のシーズンが今年もやってまいりました。
正直なところ松崎は高級チョコの繊細な味わいのちがいがよくわからないので、催事会場にはイートイン目当てで行きます。
ことしのソフトクリーム収穫写真をご紹介。 pic.twitter.com/y2tfh2IGc9— 松崎有理(作家)公式 (@yurimatsuzaki_n) 2019年2月3日
図4. チョコレート祭りでの屋台メニューの例。
インタビュー
当初は質問紙調査を予定していたが、祭り参加者たちはみな熱心に買い物をしているので急遽方針を変更、つぎの質問を投げかけるにとどめた:
「あなたはなぜこの祭りにくるのですか」
最多を占めた答えが「チョコ大好きだから」。ひじょうにもっともである。
次点が「楽しいから」。祭りに参加するまっとうな動機といえよう。
つぎが「めずらしいいろんなチョコが集まっているから」。
この意見を耳にしたため筆者はまたも急遽、各会場でパンフレットをいただきその内容も解析した。
そのほか、アンケートへの少数意見としては「菓子職人なので勉強のため」「デザイナーなので勉強のため」「家族・友人に頼まれて、お使いを」「チョコ目当てというより、ソフトクリーム(=日本独自の屋台食)が好きだから」などがあった。
考察
調査結果から、レポート冒頭にかかげたふたつの疑問「なぜ、この時期に」「なぜ、チョコレートか」を考えてみたい。
①なぜ、この時期に
今回調査した5つの会場はすべて、祭り開始日がばらばらであるにもかかわらず終了日はかならず二月十四日であった(表1)。
キリスト教文化圏の復活祭や日本の節分など、日付が毎年移動する祭りはそう珍しくない。しかし祭り開始日は不定で、終了日のみ一定というのはめったにないのではないか。
筆者はまず「二月十四日という日付には、祭りを終わらせるような特殊な意味がある」と考え、二月十四日の意味を探ってみた。しかしこの日は:
- 煮干しの日
- 数学者ダフィット・ヒルベルトの命日
- ふんどしの日
等であった。このなかに “冬の大チョコレート祭り” を終了させるような要素はみつからない。
そこで筆者は発想を転換した。二月十四日に祭りを終わらせる要素があるのではなく、二月十五日に特別ななにかがあるのでその前日までに祭りを終えるのではないか。
さっそく調べたところ、なんと二月十五日は釈迦入滅の日であった。仏教は日本の国教である。日本人にとってこれほど大切な日があるだろうか。
“冬の大チョコレート祭り” は一月下旬ごろからはじまる。日本においては先述した節分のシーズンと重なる。節分とは冬と春との境界=節目であるので、おそらくこの祭りの初期形態は「春をむかえる喜びを表すため、おいしいものをたくさん食べる、ないし購入する」(*1)というものであったのではないだろうか。節分が終わるころから三々五々、準備をはじめ、大切な釈迦入滅の日までにはお祭り騒ぎを終了させたのであろう。
②なぜ、チョコレートか
祭り初期には「いろんなおいしいもの」を購入していたのが、時代の流れにより種類がしぼられ簡略化していくのは自然である。しかしチョコレートになった理由はいまのところ決定打がない。
仮説としては:
- 高温多湿の日本では、チョコレートは冬期にのみよいコンディションで持ち帰ることができる。この期間限定感がチョコレートへの一本化をあと押しした
- チョコレートにはポリフェノールが豊富に含まれている。原料のカカオはもともと薬であった(*2)という。日本においても、「体にいいらしい」「これを食べると風邪をひかない(*3)だろう」などと理由づけられ、冬の季節に集中して食べられるようになった
等があげられよう。
結論
つまり “冬の大チョコレート祭り” とは、古い暦と宗教行事のいりまじった、日本における謝肉祭のような行事が現代に合ったかたちへ変化した姿だといえる。
註
*1 たとえばポーランドにおける「脂の木曜日」など。この日はドーナツをどっさり食べるという。“冬の大チョコレート祭り” とよく似ている、と筆者は思う。
*2 『チョコレートの歴史』ソフィー・D・コウ、『チョコレートの文化誌』八杉佳穂
*3 たとえば日本には古くから「冬至の日にかぼちゃを食べると風邪を引かない」という伝承がある。
指導教官より
- 今回はたいへんな力作です。まずはその努力をほめたいと思います。
- それにしても、いまは「バレンタンデー」のバの字も百貨店の催事にあらわれないんですね。めったに足を踏み入れないのでちっとも知りませんでした。ヌガーくんの調査が難航したのも理解できます。
- チョコを買いにきているひとたちも、「意中のあのひとに贈り物を」なんて意識はもうまったくないんですね。完全に、自分(たち)で楽しむためのもののようです。放課後に下駄箱をのぞいたあの日々がなつかしい。
- 仏教は国教ではありません。したがって、多くの日本人はヌガーくんが思い描くほどには仏教的行事に熱心ではありません。
- というわけで、ヌガーくんがせっかく壮大な仮説を展開してくれたのですが、ぜんぶまちがいです。
●評価=C(がんばりましたがまちがいです)
この記事は、『ジャーロ』(光文社)に連載された「月の裏側 日本のまつり——日本人の知らない日本についての文化人類学的報告」の設定を使った書き下ろし作品です。
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【公式サイト更新】
日本の誇る伝統行事、冬の大チョコレート祭り(旧名:バレンタイン)を留学生が文化人類学のレポートにした、という設定で記事を書きました。
もちろんフィクションです。ご笑覧くださいませ。https://t.co/OIYWYb7788— 松崎有理(作家)公式 (@yurimatsuzaki_n) 2019年2月5日
上の画像につかっているのはピエール・エルメ「アール プルミエ」のミニバージョン。なんとケ・ブランリ美術館所蔵の面を型取りしたとか。このミニ版は通年売っているので、文化人類学ずきなお友だちへのプレゼントにいかが。
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【文化人類学・架空レポート】
第一回はこちら。
節分と柊鰯
第三回はこちら。
春の蕎麦まつり
嘘の論文に興味を持っていただけましたか。
以下の記事は嘘っぱち全開の「架空論文」シリーズ、本稿の理系版です。
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