理系女子応援企画・その7――郷 通子 先生にインタビュー(1)



*本稿は取材先の認可を経て執筆、掲載しています。


郷 通子

郷 通子先生近影。現在つとめていらっしゃる情報・システム研究機構の理事室にて。
とにかく気さくで話しやすいひとだ。松崎の緊張は二秒でどこかに消えた




「このひとは、”問うひと”だ」 というのが、今回のインタビューをつうじて松崎が郷先生に抱いた印象だ。

インタビューの日程がきまってから、郷先生の執筆したもので予習し、
実際にお会いしてお話をきき、
帰ってからまた復習して、
ますます、このひとは徹頭徹尾、疑問をもち問いつづけるひとなのだ、という思いを強くした。
しかもこのインタビュー、ものすごく楽しかった。二時間半があっというまだった。
以下で、当日の雰囲気をいくらかなりともお伝えできれば。

 郷 通子 Mitiko Go 先生 (理学博士、生物物理学) 略歴:
 1939年うまれ。
 1962年 お茶の水女子大学理学部物理学科卒業
 1967年 名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了
 コーネル大学博士研究員、日本学術振興会奨励研究員、九州大学理学部非常勤講師を経て、
 1973年 九州大学理学部生物学科助手
 1989年 名古屋大学理学部教授
 1996年 名古屋大学大学院理学研究科教授、東京大学 分子細胞生物学研究所客員教授
 2003年 長浜バイオ大学バイオサイエンス学部学部長
 2005年 お茶の水女子大学学長、長浜バイオ大学特別客員教授
 現在 情報・システム研究機構 理事

「”なぜ?”と、きく子供だったんです」
幼少時代について質問した松崎にたいし、郷先生はこう答えた。
「でも、そうやってきいてみると、理屈っぽい、っていやがられたんですよ。
もちろん、時代のせいもあったでしょうね。女の子なんだからだまって、みたいな。
でも、思えばここが出発点だったのかもしれません。どうして質問しちゃいけないんだろう、からはじまって
どうして自分は女に生まれてきたんだろう、そして、そもそもなぜ生きているんだろう、と
問いが発展していったんですね」

そしてたどりついた問いが「生きものらしさとはなにか」だ。

「もともとはね、数学が好きだったんです。あの、すぱっときれいに答えが出るところが。
でも、大学では物理を専攻しました。より広がりがある、と思ったんです。
生物ですか? きらいでした。だって、暗記科目みたいで。目や耳の構造なんて、各論にすぎないでしょう」

――それでは、どんなきっかけで生物学に?

「名古屋大学の大沢文夫先生が、集中講義で三日間、きてくださったんです。
そのとき、DNA二重らせんの話をはじめて聞きました。
それで興味をもって、生物物理学をやってみたい、と思ったんです。
そして、名古屋大学大学院の大沢先生の研究室に進学しました」

――大沢先生からは、とても深い影響をうけられたようですね。
ちょっと予習をしてきたのですが(といって大沢先生の著書『飄々楽学』をとりだす)、
しばしば、おふたりは共通のキーワードを使っていらっしゃいますね。
たとえば「生きものらしさ」「ゆらぎ」「状態」など。

「影響はとても大きいです。
1981年のNatureの仕事 *) ですけど、
あれも、大沢先生のところで学んだことが、10年後になって出てきたようなものなんですよ。
研究者の仕事って二種類あって、
すぐに出るものと、出るまでに時間がかかるものがあるんですね。これは後者」

――大沢先生も、著書のなかで郷先生になんども言及されていますよね。
それと(『飄々楽学』中の写真を示して)驚いたのが、大沢研究室の女性の多さ。三分の一くらいかな、当時としてはすごいことですよね。

「こんなに女性の比率が高いのは、名古屋大の物理学科でもここだけでしたよ。
わたくし、思うんです。女性がたくさんいるラボは、よいラボだ、と」

――名古屋大学って、どんなところでしたか?

「自由なところでした。学生も教員も同等、という雰囲気があって。
そうそう、大学の歴史って、とてもだいじなんですよ。
名古屋大は旧帝国大学のなかでもいちばんあとにできたので、
当時の教授たちは、いわば第一世代だったんです。
新しかったから、自由だったのでしょうね。
百数十年の歴史があるお茶の水女子大学とは、かなりちがいます」

――研究における転機の事件、ってなんだったのでしょう。

「アメリカ留学から帰国したときです。
アメリカでの受け入れ先だったコーネル大学のHarold A. Scheraga教授が、別れぎわに
『これからは、ここでの仕事とはちがったことをやりなさい』
と、おっしゃったんです。
だから、帰国後に九州大学へうつったのをきっかけに
これまでの物理化学的方向から、
生物の方向にスイッチしました」

――この九大時代に、Natureの仕事をされたわけですが、くわしい経緯をおきかせください。

「九大の助手に採用されたのが73年でしたが、
77年に、イントロンが発見されました。
当時は研究室でも話題になって、ひじょうに盛りあがっていたんです。
すごくおもしろい現象ですよね、真核生物の塩基配列にあんなにもむだな部分があるなんて。
なぜ? って、また思ったわけですよ。なんとかして、自分がこの分野の研究に切りこみたかった。
でも、ちょうど子育ての忙しい時期で。
子供のちいさいときって、やっぱり生産性が落ちます。半分くらいに。
Natureの論文は、下の子が小学校にあがって手がかからなくなってから、できた仕事でした」

――女性研究者にとっての子育て、とは?

「時間を奪われますけれども、けっしてむだじゃありません。
いろんな考え方のひとと接するようになりますから、ものの見方がひろがるんですよ。
物理学みたいに、ものを近くからみてinteractionを検討するのもだいじですけれど、
ときには遠くから、ぼうっと、ながめてみるのもすごくだいじです。
写真のポジ・ネガみたいに、ものごとを逆にみるのも、ね」

――ああ。それがNature(1981)の“GO Plot” **) に、つながるんだ。

「そう。子育ての経験は、あの仕事に結実したわけですよ。なにごとも、むだにはならないんです」

……インタビューはさらにつづきます


*) Go, M. (1981). Correlation of DNA exonic regions with protein structural units in hemoglobin. Nature, 291, 90-92.

**) アミノ酸どうしの距離が近いもの、ではなく、ふつうとは逆に遠いものに着目してつくった図。
この画期的手法により、イントロンとタンパク質立体構造との対応があきらかになった。




2011/02/04 執筆