十姉妹であるとはどういうことか(ショートショート)

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ジュウシマツ

作成日:2012/07/09 最終更新日:2020/01/04 かいたひと:松崎有理

「とうとう論文の査読に人工知能が導入されるらしいですよ」

そんな話を出入りの代書屋からきいたのはつい先月、ここ北の街の長い雨期がまだ終わっていないころのことだ。彼はぼくの勤める蛸足型総合大学に常駐するふたりの論文代筆業者のうちの若いほうで、腕はまだまだだが持ってくる情報はたしかだ。
もっともぼくは論文を書くのがきらいではないし、むしろ執筆は早いほうなので、いまだかれらに代筆を依頼したことはない。いや、ただでさえ少ない手持ちのかけんひを節約したいという思いのほうがおおきいか。なにせ代書屋たちは自分らの仕事の価値をよく理解しており、かなりの料金を請求してくる。
「いつかはそうなると思ってましたけどね。だってむちゃむちゃじゃないですかいまの査読のしくみって。あんな負担のおおきい仕事が無報酬だなんて信じられない」
そういって彼は頭を振る。ぼくもうなずいて同意する。ぼくは理学研究科生態生物学分野の助教になったばかりで、所属している比較生物学会でもまだまだ若手なのだが、それでも今月ちゅうに査読せねばならない会員の論文を20本も抱えている。このさき研究生活をつづけていって、いったいどのくらいの査読義務が発生するのやら。想像したくない。
「出すか出されるか法、なんてひどい法律が施行されるから悪いんですよ。あれのせいで、あらゆる研究者は論文を書きまくらないと大学を追い出されることになっちゃったから」
まあそのおかげでぼくらはごはん食べていけるんですけど、と若い代書屋は気まずそうに肩をすくめる。
出版か、さもなくばみじめな死を。
研究者の論文執筆にかんする古い冗談は、数年前に制定されたこの法律によって現実と化してしまった。
出すか出されるか法というのは通称。だれも使わない長すぎる正式名称は、大学および各種教育研究機関における研究活動推進振興法。
研究業績への査定が三年ごとに入る。このときまでに執筆した論文の被引用指数合計が各研究者に定められた目標数値に達していなければ退職を勧告されてしまう。
おかげで投稿論文の大洪水と、査読作業の超過負荷状態が発生した。とうぜん起こりうることだったが、行政はなぜか予測しなかった。
「で、話もどしますけど」と若い代書屋はつづける。「もちろん、いきなりそこらじゅうの学会誌で人工知能を査読に使い出すんじゃなくて。まずは試験的に、人工知能学会が自前でつくって運用してみるんだそうです。それでうまくいったら、同じものをほかの学会にも貸し出すと」
へえ、で終わってよかった話題だった。しかしぼくのなかでなにかに火がついた。連日の査読作業による疲れがへんなぐあいに脳を圧迫していたせいかもしれない。
ちょっといたずらしてやろうかな。
工学部の図書館は理学部から歩いてもほんの10分ほどだ。そこの新着雑誌開架で『人工知能学会誌』最新号を探し出した。投稿規定を確認する。たしかにこう書かれていた。
 次号(2012年9月号)掲載分より査読は人工知能が行います
声を殺して笑う。そうだこれから人工知能と勝負してやる。この雑誌に論文を書いて投稿し、受理されればぼくの勝ち。掲載拒否されれば人工知能の勝ち。
ぼくの専門は比較生物経済学で、主要テーマは鳥類における卵の孵化への経済的投資量種間比較だ。つまり人工知能分野についてはまったくの門外漢なのである。
その門外漢がささっと書いた論文が、人工知能による査読を通過して人工知能専門誌に掲載されたら痛快じゃないか。
かんじんの論文の内容は、自分のテーマについて堂々と書くことにした。にわか知識をつめこんで人工知能論文を書くつもりはない。というか、書くなら自分がいま強く興味を持っていることで書きたい。研究者とはそういうものだ。
とはいえ査読人工知能をだます工夫は凝らさねばならない。いまの人工知能がどれだけ賢いか知らないが、論文全体の文意を把握して総合的に掲載可否の判断をするほどではないだろう。ということは、いかにも人工知能研究っぽい用語をタイトルと要旨と本文にちりばめておけばいいのでは。
ひきつづき工学部図書館で、過去数年分の『人工知能学会誌』をななめよみした。ななめどころかキーワード欄しかみない。その結果、おもしろいことがわかった。この世界では言語研究のために十姉妹 Lonchura striata var. domestica を使うことが多いらしい。
これはぼくにとって好都合だった。おとなしく扱いやすく、巣引きが容易で、抱卵も育雛もうまいこの小鳥を、ずっと卵孵化の経済的投資量実験につかっていたからだ。十姉妹についてならそれこそ何枚だって書ける。
上機嫌で本文を書き、引用文献一覧をつくり、要約をつくった。図も、人工知能が画像認識で十姉妹が描かれていると理解できるくらいの品質でいいだろう。よって以前、学会のスライド用につくってみたけれどボツにしたものをそのまま添付した。
タイトルもきめた。「十姉妹であるとはどういうことか」。
この一行をながめてひとり悦に入る。うん、人工知能論文っぽい。たぶん。
投稿規定を読み返し、形式に不備がないことをいまいちど確認してから、指示どおりネットワーク経由で原稿を送った。自動返信メールがきた。人工知能導入により査読期間が大幅に短縮されました。論文が受理されたばあい次号(2012年9月号)に掲載できます、と書かれていた。
ぼくは待つ。他人の原稿を査読しながら。さて、そろそろ雑誌の発行日だ。
人工知能学会員のみなさま。2012年9月号がお手元に届いたら、目次に「十姉妹であるとはどういうことか」というタイトルの論文がないか探してみてください。もしあったらぼくの勝ち、なければあなたがたのつくった査読人工知能の勝ちです。

 

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この記事は、『人工知能学会誌』2012年9月号掲載のショートショートを改稿したものです。人工知能学会の許可のもとに公開しております。

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嘘の論文、いっぱい書いてみました。

『架空論文投稿計画 あらゆる意味ででっちあげられた数章』
出版社 光文社
発売日 2017/10/20
単行本、四六判
定価 1600円(税別)
デザインと装丁 宗利淳一
第一章と「ぶぶ漬け」論文まるごと試し読み
●七冊目の単行本は破天荒な変化球。まるで『鼻行類』のようにリアルでおかしな嘘論文が11本も入っています。でも、論文集ではなく小説です。これらのへんな論文は、ひとりの勇気ある研究者が研究不正の実態をあばくため計画した「架空論文投稿実験」用にわざと嘘っぽく書いたものなのです。たとえばそのタイトルは、
「島弧西部古都市において特異的にみられる奇習“繰り返し『ぶぶ漬けいかがどす』ゲーム”は戦略的行動か?」
「経済学者は猫よりも合理的なのか?」
「図書館所蔵の推理小説に“犯人こいつ”と書きこむひとはどんなひとか」
「おやじギャグの社会行動学的意義・その数理解析」
「比較生物学から導かれる無毛と長寿との関係――はげは長生き?」
などなど。タイトルからしておかしいのに、投稿された論文にだれもダメだししてくれません。そんな実験を続けるうち、研究者に妨害の魔の手が。謎の組織・論文警察やその黒幕の正体は。そして主人公に接近する黒衣の超美人ハーフ研究者は敵か味方か。「代書屋」シリーズでおなじみ、敏腕代筆業者のトキトーさんも登場します。
学術業界(架空)裏話にひたっていただくため、専門用語にはていねいに註をつけました。巻末にはショートショートのおまけつき。コスパには自信があります。するめを噛むように味わっていただけたら幸いです。
●もくじ、帯ほかくわしい情報は当サイト内架空論文特設ページよりごらんになれます。

松崎有理のほかの著作については、作品一覧ページをごらんください。

     

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