『地下鉄道』(コルソン・ホワイトヘッド著/谷崎由依訳、早川書房)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第10回】

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作成日:2018/06/24 最終更新日:2018/10/27 かいたひと:松崎有理

#フォロワー感謝企画のおこりについては『人生の真実』(グレアム・ジョイス著/市田泉訳、東京創元社)【翻訳小説書評:フォロワー感謝企画第一回】をごらんください。

本書は逃亡と追跡の物語である。

逃げるのは黒人奴隷の少女、追うのはバウンティハンター的な奴隷狩り人。時代は19世紀前半つまり南北戦争が起こる前、舞台はアメリカ南部である。目次をみてわかるとおりジョージア州からはじまる。ジョージアとは、「南北戦争」リンク先のずうっと下のほうにある地図で確認するとフロリダのすぐ上。そうとう南だ。ここから主人公は自由をもとめて北をめざす。それを奴隷狩り人が追う。これが本書の基本構造だ。

ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞など名だたる賞のかずかずを受けたベストセラー。タイトルになっている地下鉄道 Underground Railroad とは、南部の黒人奴隷を北部へ逃がす地下組織の名前で、「鉄道」というのは比喩にすぎない。逃亡奴隷を「乗客」、隠れ家を「駅」などと呼べば符丁になるからだ。本書では唯一のファンタジー要素として、この比喩上の「鉄道」がほんとうに鉄道だったら、という設定を導入している。それ以外の描写はひじょうにリアルだ。

では以下で、キーワードをあげつつ本書の魅力を紹介していきたい。(注意:若干のネタバレを含みます)

キーワードその1:逃亡と追跡

ひとは無意識に、逃げる者には感情移入してしまう。テレビドラマシリーズ『逃亡者』がなんどもリメイクされていることでわかるとおり、罪のない者が追われるストーリーには根強い人気がある。だから本書がつまんないわけがない。
いっぽう追跡も人間の本能に根ざしている。そもそもヒトとは狩猟者であった。上で紹介した『逃亡者』でも、追跡側を主人公にしたスピンオフ作品がつくられている。
本作においては主人公の奴隷少女コーラと奴隷狩り人リッジウェイの関係がいちばんのみどころだと松崎は思う。ストーリーは基本的にコーラ視点で進むが、リッジウェイ視点の章もあって彼の背景を知ることができる。リッジウェイは白人であるのに黒人奴隷コーラを食事に連れていき、自分の過去を語ってきかせる。いっぽうコーラも彼と対等に口をきく。追跡者と逃亡者の力関係は本来非対称なはずなのに、ふたりをみていると同格のライバルどうしのように思えてしまう。リッジウェイはコーラも読者も忘れかけたころいきなり現れるのでホラー的なこわさもある。彼の秘書である自由黒人伊達者小僧ホーマーのトリックスターぶりも含めて、まこと魅力的な敵役だといえよう。彼らがいなかったら本作のおもしろさは十分の一くらいになってしまうかもしれない。

キーワードその2:奴隷

奴隷。日本人にはなじみのない概念であり、松崎もじゅうぶんに語ることばを持たない。よってここでは奴隷を知るための参考となる書籍をいくつか挙げてみよう。

  • 『数奇なる奴隷の半生』フレデリック・ダグラス 基本図書ノンフィクション編。黒人奴隷であった著者ダグラスが逃亡して自由になるまでを綴った自伝。本文もよいのだがなにより翻訳者の岡田誠一さんによる解説がとてもていねい。地下鉄道のじっさいの活動、敵を利するとしてダグラスが本文であかさなかった逃亡方法の詳細、「黒人はハムの息子の子孫」という言い回しの由来までが説明されている。訳者みずから撮った南部プランテーションの写真、関連地図もついているという仕事の細かさには頭がさがります。
  • 『アンクル・トムの小屋』ハリエット・ビーチャー・ストウ 基本図書フィクション編。長くて古い小説だからさぞ退屈だろうと判断するのは早計。本作にも逃亡奴隷のパートがあってドラマチックなシーン続出。ただしトムのパートはかなり宗教くさいのでそこは覚悟を。
  • 『奴隷のしつけ方』ジェリー・トナー 過去の奴隷について。「古代ローマ人が書いた奴隷管理指南書」という設定でケンブリッジの古典学研究者が書いている。奴隷が社会の基盤であり存在してとうぜんのものだった時代を知ることができる。研究者らしく解説がていねいで文献リストもある。表紙イラストはヤマザキマリさんというナイスな人選。
  • 『グローバル経済と現代奴隷制』ケビン・ベイルズ 現在の奴隷について。比喩ではなくリアルにいまも奴隷が存在することをあばくノンフィクション。なお著者は社会学者。ひと晩で10回以上売られる娼婦とか衝撃の内容続出なので心してページをひらこう。奴隷制をなくすための具体的提言あり。
  • 『侍女の物語』マーガレット・アトウッド 未来の奴隷について。だからこれはフィクション。環境汚染のため出生率が極端に低下した時代、高位の男性は子供を産む女奴隷「侍女」を持つことが奨励されているというディストピア設定。その子供のつくりかたが異常すぎてぞっとする反面、さもありなんと思わせるリアリティもある。密告や逃亡などアメリカ南部奴隷と共通のテーマがみられる。なおアーサー・C・クラーク賞第一回受賞作品。『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』というタイトルでドラマ化されている。

キーワードその3:万華鏡世界周遊もの

本書巻末の訳者あとがきによれば、著者ホワイトヘッドは本作の構造の着想を『ガリバー旅行記』から得たらしい。冒頭でコーラに逃亡をもちかける青年奴隷シーザーの愛読書もこれだった。アメリカは万華鏡のように色の異なった世界=州のあつまりであり、主人公は州境を越えるたびあらたな環境に放りこまれ、あらたな課題に直面する。地下鉄道スタッフのひとりが作中でこんなことをいっている。

「すべての州は違っている」と、ランブリーは言っていた。「おのおのが可能性の州だ。独自の習慣と流儀を備えてる。さまざまな州を通り抜けることで、最終地点に着くまでにこの国の幅の広さを知ることになるだろう」(中略)「この国がどんなものか知りたいなら、わたしはつねに言うさ、鉄道に乗らなければならないと。列車が走るあいだ外を見ておくがいい。アメリカの真の顔がわかるだろう」

上の台詞は88〜89ページ、と物語のかなりはじめのほうで語られ、以後なんどもリフレインされる。本作の重要なテーマのひとつであることがわかる。
このタイプの作品を便宜的に「万華鏡世界周遊もの」(*)と名づけてみた。典型例は古典なら上の『ガリバー旅行記』、そして『カンディード』である。現代のノンフィクションなら『深夜特急』、未来を描くSFならアシモフ『ファウンデーションへの序曲』、シモンズ『エンディミオン』だろう。いずれも未知の世界への好奇心をぞんぶんに満たしてくれる良質なエンタメだ。本作『地下鉄道』でも、鉄道はどこへ通じているかわからないという設定があるので読者はミステリーツアーに参加しているような興奮を得ることができるだろう。

* ひょっとしたら「バディもの」とか「ピカレスクもの」みたいにちゃんとした名前がついているかもしれないけど松崎は不幸にして知りません。知っているひとがいたらメールで教えてください

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  • 『橋のない川』住井すゑ 被差別文学国内編。第七部まである大長編なのに著者死去により未完なので読む気がしない、というひともせめて第二部くらいまでは読んでほしい。なお作中で島崎藤村『破戒』がディスられている。
  • 「ジェイムズ・P・クロウ」フィリップ・K・ディック 『マイノリティ・リポート』収録の短篇。人間がロボットに差別される未来という設定。主人公の名前は類型的黒人を指す「ジム・クロウ」からきている。
  • 『解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯』ウェンディ・ムーア 作中の解剖用死体泥棒について興味を持ったかたへ。この本一冊で必要十分な情報源になることうけあい。なお皆川博子『開かせていただき光栄です』は18世紀の死体解剖を中心にすえたミステリ小説で、こちらも描写が正確。

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冒険の旅へ。

『代書屋ミクラ すごろく巡礼』表紙
『代書屋ミクラ すごろく巡礼』
出版社 光文社
発売日 2016/7/14
単行本、四六判
定価 1300円(税別)
挿画と題字デザイン 丹地陽子
装丁 宗利淳一
★冒頭試し読み
●学術論文執筆代行業「代書屋」シリーズ初の長編。今回は学術色薄めで、ミクラのミッションはひとさがしです。失踪した依頼人(例によってきれいな女性)を追って、巡礼の島にやってきたミクラ。ところが巡礼のルールはなぜかすごろくで、さいころの生み出すランダムネスに翻弄されまくります。すごろくレースの参加者たちもみな個性的、協力しあったり妨害されたり。はたしてミクラは、依頼人を探し出すことができるのでしょうか。あの参加者の意外な正体も読みどころです。
あ、若いみなさんすごろくってわかりますよね。桃鉄みたいなものです。
長編なのでもくじはありません。
なお、本書を読むために前作『代書屋ミクラ』を読んでいる必要はまったくありません。独立しておたのしみいただけます。

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