「たとえわれ命死ぬとも」冒頭部分試し読み(『5まで数える』収録)

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作成日:2017/09/01 最終更新日:2017/09/02 かいたひと:松崎有理

  死亡や障害が予見されるようないかなる(人体)実験も行われてはならない。例外があるとすれば、実験する医師自身が被験者となるものであろう。 ニュルンベルク綱領第五条、著者訳

***

 法学部ではなく医学部へ行きたい、とうちあけたときの両親の顔を大良は生涯忘れることはなかった。
 十八歳の夏のことだ。居間の大きな窓は開け放たれ、天井では輸入もののしゃれた扇風機がゆっくり回転して微風をつくりだしていた。両親はまず驚き、ついでやはり、という表情になり、それから泣いた。だが息子を止めはしなかった。止めても無駄とわかっていたからだ。両親としては、生き残った子供には安心安全な道を歩んでほしいと願っていたのだが。たとえば父親のような弁護士になるとか。
 嘆く両親を置き去りにして大良は二階の自室にあがり、受験勉強のつづきにかかった。彼にはもうひとつ忘れられない顔があった。だから彼は医学部をめざす。医師に、より正確には実験医になるためである。

 六年後。大良は優秀な成績で医学部の教育課程を終え、国家試験に合格して医師の資格を手にした。おおかたの級友たちのように臨床へは行かず、卒業した帝国大学の医学研究所にとどまって、実験医としてのキャリアをスタートさせた。しかも、もっとも殉職率が高いとおそれられる感染症研究班をみずから志願したのである。
 四月さいしょの月曜が配属初日にあたる。その朝、大良は舞い散る桜の花びらを顔から払いのけながら、医学部棟も病棟も通りすぎて、敷地のいちばん奥の実験医学研究棟に入っていった。黒い礼服を着用しているのは式典があるためだ。耳ざわりな音をたてるエレベーターのせまい箱に乗って七階へあがり、感染症研究第五班のミーティングルームの扉を叩く。
「失礼します」
 知った顔がいたので少々驚いた。長机のそばから遠慮がちな微笑を返してきたのは学部時代の同期のひとりだ。小柄で色が白く、髪は自然にゆるく巻いた栗色。ちいさな口からやや大きめの前歯がのぞいているせいで齧歯類じみた印象を与える。同期といってもろくに口をきいたことがなく、じつをいえば名前もあやふやだった。そんなわけだから彼女が実験医になるつもりであったことも今のいままで知らなかったのである。
 だが、よりによって感染症研究班とは。「どうして、こんなところに」当人に配属先の希望がないばあい無作為に割り振られるという。だとすれば運が悪い。
 答えが返ってくる前に、チームリーダーが入室してきた。
「おはようございます、みなさん」
 第五班の新しいチームリーダーは器用に車椅子をあやつって長机に寄せた。
 大良とその同期の女医は直属の上司となる女性にあいさつを返した。彼女の評判は医学部の学生たちにもきこえていた。すでに五十の坂を越えた、この研究所の実験医のなかでも古株である。ここまで生き延びてこられたのはそうとうに運がいい。両脚の膝から下はかつて低体温症実験班にいたとき凍傷のため切断したという。両手の薬指と小指も同じ理由でなくした。背中と尻と太腿の皮膚は熱傷治療班時代の醜い瘢痕で覆われているらしかった。水圧変化対策班にいたときは鼻血などしょっちゅうで、彼女を探すときは血のついた脱脂綿のあとをたどっていけばいい、といわれるくらいだった。この歴戦の勇者が引退を前にして感染症班を希望したのは、さいごのお勤めですから、という理由らしい。頭脳も身体も研究のために使い切るのが実験医の本懐であると。
 白髪のチームリーダーは部屋をみわたす。「まだ、そろっていないようですね」その口調もまなざしもじつに静かだ。これまで数十年の実験生活のなかであまたの死をみつめてきたせいなのだろう。
 この班の前任者たちは昨年度の終わりまでに全員が殉職してしまった。今年度から補充されるのは四人ときいている。
 三人は壁の時計をみあげた。各班の新年度第一回のミーティングは午前十時開始、と通達した郵便が自宅に届いているはず。だが時計の針はすでに十時を回っていた。
 すると。「失礼します」
 やや乱暴に引き戸が開けられ、四人目が登場した。大良は彼を知っていた。同期のなかではちょっとした有名人だったからだ。理学部から中途で医学部へ移ってきた変わり者。しかも当初から実験医になると公言していた。その理由もあけすけに語った。金のためだ。ふつうの勤務医なんかよりはるかに給料がいいからな。だがなぜ金が必要かまでは語らなかった。
 名前は塁といった。金のためならやはり、この班にきたのは運が悪かったというべきだろう。
 さいごのメンバー、塁は強い癖毛の黒髪を指で払うと空いた椅子にかけた。座面に尾骨が刺さりそうなほど痩せていて、礼服の肩や上腕はあきらかに余って大きな皺ができている。
「すみません。遅れました」と謝罪するも、そのじつささいな遅刻など気にもしていないことが口調から明瞭にわかった。
「では、第一回のミーティングをはじめましょうか」チームリーダーは黒板を背にした位置へ車椅子を動かした。若い女医は立ちあがって白墨を手にし、書記の役割を買って出た。
「みなさんすでにご承知でしょうが、この班の研究目的は彗星病対策です」チームリーダーは皺に囲まれたやさしげな目を若いメンバーたちに向ける。
 大良はつい声に出してしまった。「対策ではありません。根絶です」
 その口調の強さにチームリーダーは一瞬だけ眉をあげたが、発言者につづきをうながした。
「天然痘のワクチンが開発されたことにより、一部の感染症については根絶の可能性がみえてきました」落ちついているつもりではあったがどうしても力が入る。「つまり。天然痘の病原体のようにヒト以外の生物に宿主がいないばあい、効果的なワクチンを作製してできるかぎり多くの人間に一斉接種すれば、その病原体は増えられる場所をなくし、地上から永遠に消え去ることになる」
 そうだ、根絶してやる。あの憎き病を。彗星病を。自分はそのために実験医になった。そのためにこの第五班に志願して入った。
 これは復讐なんだ。大良は奥歯を音がするほど噛んだ。
「そのとおり。根絶は可能です、理論的には」チームリーダーは冷静に述べる。彼女の背後では栗色の髪の女医が黒板にキーワードを書きつけている。彗星病。ヒト以外に宿主なし。流行周期は五十年。つぎの流行は三十年後。それまでにワクチン開発、一斉接種をめざす。
「前回の流行のとき、みなさんは四歳だったわけですね」
 若い三人は同時にうなずく。
「彗星病の小児における致死率は六割。みなさんは幸運でした」
 大良は思わずうめいた。そうだ自分は幸運だった。死んでもおかしくないところを運よく生き延びた。しかし。
 痛ましい記憶がよみがえって心にみえない強打を与えた。彼は顔を覆ってまたうめいた、いつのまにかとなりに女医がいて肩に手を置いていることさえ気づかなかった。
 するとチャイムが鳴って全館放送が入った。通達にあったとおり、これから年にいちどの重要な式典がはじまることを告げていた。
「参りましょう。つづきは、またあとで」チームリーダーは車椅子のブレーキを解除した。
 黒い礼服を着た感染症第五班の面々は車椅子を先頭にして粛々とミーティングルームを出た。

 医学部講堂は式典のために開放され、半分ほどが黒服の関係者たちで埋まっていた。第五班一同は後方通路側に席をとった。正面の演壇は白い供花で飾られていた。中央の幕にはこんな一語がかかげられている。一殺多生。実験医学研究所の基本精神である。
 殉職者慰霊祭は一分間の黙祷ではじまった。研究所長が壇上より式辞を述べる。
「昨年度は本研究所において六十九名の実験医たちがその研究に貴い命をささげました」
「阿呆くせえ」
 右どなりの席で塁がそうつぶやいたので、大良は驚いて彼を振りかえってしまった。
 式辞はつづく。「本日より実験医としてここに勤務する若いみなさんたちに申しあげます。歴史的には、いまから約二百年前。海峡をはさんで対峙するふたつの国の大陸側にある獣医科大学で、馬にたいして麻酔なしで六十もの外科的処置をするという残忍な動物実験が行われました。海峡の向こうの島国側は、国民性として馬をこよなく愛しておりましたのでこれに猛反発し、世界じゅうの世論に訴えて動物実験禁止国際法を成立させたのです。かくして、すべての生体実験はヒトのみで行われることとなりました」
 塁は細長い脚を組みなおし、また小声でいった。「阿呆くせえ。二国間の子供じみた喧嘩に巻きこまれただけじゃないか」
 そうかもしれない。だが動物への虐待は許しがたい横暴であることはたしかだ。そもそも動物実験には現実的なデメリットがあった。動物は実験に協力的ではない。薬品投与後にどんな気分になったかことばで説明してもくれない。それに人間と動物では身体の構造も代謝もちがう。人間のみが罹患する病気も多い。医学研究において、動物は人間の完全な代替にはならないのである。
 彗星病も人間以外の宿主はいない。よってヒトで実験するしかない。
「もちろん人体実験にも厳密な倫理的規則が適用されます。実験参加者は自発的であるべきで、けっして強制されるようなことがあってはなりません。またどのような実験が行われるかじゅうぶん理解する必要があります。これらの条件を満たす者とは、実験を計画する医師自身にほかなりません。こうして実験医という職業が誕生しました。気高い自己犠牲の精神と優秀な頭脳をあわせもった医師、それがみなさんなのです。誇りを持って働いていただきたい」
「ここがいちばん阿呆くせえ」塁は組んだ脚の上になったほうを規則的にゆらしながら低い声でつづけた。「世界じゅうでもっとも優秀な頭脳が、実験でぞくぞく死んでるんだぜ」
 大良はたまらなくなって隣席にささやいた。「じゃあ、なんできみはここにいるんだよ」
 相手は大良に視線すら向けずに応えた。「金のためだ」

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この本ですよ。

『5まで数える』カバー

出版社 筑摩書房
発売日 2017/6/8
単行本、四六判 264ページ
定価 1600円(税別)
装丁 アルビレオ
カバー 上田よう

●六冊目の単行本にして初のホラー短編集となりました。多様な舞台、いろんなテイストのお話が詰まっております。短編アンソロジーの好きな方におすすめです。電子版もあります(kindle楽天kobo、iBooks Store、紀伊国屋、hontoなど)。各種端末対応。ちょっと安くて1400円(税別)です。
もくじと作品概要
1、「たとえわれ命死ぬとも」動物実験が禁止されているので、自分の身体で実験するしかないんです 冒頭試し読み
2、「やつはアル・クシガイだ――疑似科学バスターズ」ゾンビは一体も出てきません 全文試し読み
3、「バスターズ・ライジング」科学者+奇術師=疑似科学バスターズ。その発足エピソードと、ドーナツ少々 冒頭試し読み
4、「砂漠」手錠でつなぎあわされた7人の凶悪少年犯罪者たちが飛行機事故で砂漠に放り出される 冒頭試し読み
5、「5まで数える」失算症の少年、数学者の幽霊に出会う。モデルとなった数学者は表紙に浮いてます 冒頭試し読み
6、「超耐水性日焼け止め開発の顛末」研究者二重オチのショートショート
●内容について、くわしくは筑摩書房内特設ページ、および当サイト内特設ページをごらんください。
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