北のホテルHOTEL du NORD 北の街シリーズ・スピンオフ企画



#写真は本文とはかんけいありません。

作家・松崎有理公式ホームページ 北の街シリーズ ようやく念願の『北のホテル』に部屋をとることができた。

北の街よりさらに北にあるちいさな城下町には、以前からなんども訪れていた。そのたびに、市街地の中心部にあるこの白いホテルの存在が気になっていた。
まず、名前に惹かれた。
同名の古い唄があるのだが、このホテルの外観はその唄がかもしだすさびしげなイメージにぴったりで、モデルになっているとしか思えなかった。しかしずっと宿泊の機会にはめぐまれず、ついに今日にいたった、という経緯だ。

旅装を解くまえに室内をみわたす。
十五平米のひとり用居室は想像どおりに壁と天井が白く、窓は大きく切ってあった。外をのぞくと雪におおわれた街なみ、ではなく初夏の街路樹と石畳の通りがみえる。
あの唄の歌詞を踏襲するつもりなら、ここで窓硝子にだれかの名前をかかなくてはならないのだが、あいにくそんなロマンチックな人間関係などもちあわせてはいない。しかたないので、かわりにはりもんを描く。即興で絵描き唄もつくる。

  まるかいて ベジエ曲線 足を生やして もやしも生やせば はりもんだ。

作家・松崎有理公式ホームページ 北の街シリーズ まずは築百年を超える医科大学の建物をみなくちゃ、とか、材木町にある『ゆきわたり』の系列店で珈琲とくるみクッキーを、とか、いやいや珈琲といえば紺屋町の『くらむぼん』ははずせないよな、などと観光の予定を頭にめぐらしつつ、旅行かばんから手帳と筆記具をとりだす。
なんねんか前から、ホテルにとまるときにはできるだけその間取り図を記録するようにしている。某建築家の影響だ。もっとも彼のばあい、そのホテルのロゴ入り便箋に描いているらしい。だがわたしは便箋を置くようなところにはあまりとまらないし、紛失も心配だから手帳派だ。

一ページをまるまる使い、浴室やクローゼットもふくめた平面図をちょうど描き終えたところで、室内の電話が鳴った。

弊社社長かそれとも担当編集者か、と思いながら受話器をとる。

予想に反して、知らない声がきこえてきた。知らない、というと語弊がある。さきほどチェックインしたとき耳にしたからだ。

フロントの男は申しわけなさそうに切り出した。「本日ご宿泊のすべてのお客さまにお願いしているのですが。いまから、部屋を移動していただくわけにはいかないでしょうか」

「いまから、ですか」首をめぐらせる。まだ開けていない荷物と、まだ使っていないベッドのカバーがみえた。「かまいませんけど」

受話器のむこうからは安堵の吐息がきこえた。「それでは。お客さまのお部屋番号は七号室でしたね。十四号室へ移っていただけますか」

七から十四へ。二倍だ。

なぜに二倍か。

おそるおそるきいてみる。「ひょっとして。きゅうに団体客が泊まることになったのではないですか」

「そのとおりです」相手はやはり申しわけなさそうにいう。

「さらに、ひょっとして」わたしはひと息おいてからつづける。「その団体さんの名前って。無限さまご一行、では」

フロントの男はあきらかに驚いた声を出した。「なぜ、わかるんです」

「いや、なんとなく」集合論の古典的問題ですよ、とはいわなかった。ヒルベルトのパラドクスについて数式や図解をまじえて説明したり、ナッシュ均衡を駆使してじゃんけん大会を勝ちぬいたりするような女はきらわれることはすでに学習ずみだからだ。

作家・松崎有理公式ホームページ 北の街シリーズ 受話器を置いたわたしは手帳と筆記具をもとどおりかばんにしまい、すべての荷物を持って部屋を出た。すぐ上の階にあるらしい十四号室へむかいながら、このあとなにが起こるのかを予想してみる。十四号室に落ちつく。するとまた電話が鳴る。やはりフロントからで、彼はまた申しわけなさそうにいう。こんどは二十一号室へ移っていただけますか。つぎは、二十八号室へ。つぎは。そのつぎは。

こんなことが無限につづく。無限さまご一行が無限にやってくるからだ。

階段をのぼりながら大きく息を吐く。まあいいや。間取り図は描けたからな。それに、窓硝子にはりもん。つぎの部屋もたぶん間取りはいっしょだから、はりもんだけ描こう。そうだ、無限に宣伝ができるいい機会だ、と思えばいい。

医科大学も『ゆきわたり』も『くらむぼん』もあきらめることにする。さんたまりあ。 (了)



#舞台裏1
松崎と担当氏とのあいだで以下のようなやりとりがあった
(註・脚色してあります):
「あの。北の街シリーズ・スピンオフ掌編をかいてみました。単行本にボーナストラックとして収録できませんか」
「どれどれ。……(しばしのち)ん。だめ。ボツ」
「えーそんなー(またかよー)」
「あ。でもね。これ、えせ旅行記にしたててウェブに載っけたら、おもしろいんじゃないかな」

#舞台裏2
めずらしくカタカナを多用してみました。いやあらくちんです。